幸せとは
どーも、ネイマです。
急な質問ですが、
あなたにとって、幸せとはなんですか?
いま世間では、木村花選手が亡くなったことから、『幸せとは』という一つのテーマに向かってSNS利用者が考えているように感じてます。
まずこのニュースを見て思うことは、
人間って弱いね。
それは言葉の暴力を受けた人が弱いのではなく、
会ったこともない、自分にとって害の無い人を無差別に傷つける人たちの心が弱いね。
人間は往々にして、人の上に立ちたい生き物。
自分を正当化したい生き物です。
だからこそ、自分を守るために相手にパンチをくり出してしまう。
いじめもそうです。
いじめの対象となるのは、
・弱そうな人
・目立つ人
・多数な人の価値観に合わない人
どの場合も、これのどれかには当てはまります。
自分がものすごく優れている人は、他人に対して執着がないから特になにも起こしません。
いじめをする人は、自分に対してコンプレックスがある人や、自信のない人、カーストの中間、下にいる人です。
自分より下があることで安心してしまうんです。
『自分はあってる。間違ってない。』
『自分は声を上げてるんだ!』ってクソみたいな考えになってる人です。
つまり、みんな弱い。
考えが浅い。
自信がない。
自信がつくような生き方をしてない。
でも自分という存在に対して、安心や満足してる。
クソですね。
もっと磨けよ。自分を。
他人のことなんてどうでもいいよ。
自分のことをやれよ。
余裕を持とう。
努力して。
これが僕の思っていることです。
これ言ったら、炎上するかもしれないですけど、
木村花の死をきっかけに、『クソリプするやつ許さん!』って言っている人もクソリプしているやつと対して変わらんと思ってます。
本気で交友があった人や、ファンや存在を知っていた人が言うのは分かるし、残念な気持ちになります。
だけど、みんなが言ってるから自分も同調して、『正義』をかざしている人が一番やばいと思ってます。
ドラえもんでいうスネオみたいな、
金魚のフンみたいなことしてなにが楽しいの?
クソリプなんてずっと前から蔓延ってたのに、その時は声を上げないで、
クソリプ勢が叩かれてから、急に顔を出す。
キモすぎ。
人間は 自分は絶対に正しいと思い込んだ時に 最も残酷な事をする
あんたたちがクソリプ勢を晒して、
『こいつがやったんだよ!』
『お前らが人を殺したんだ!!』ってやること、それに意味はありますか?
それって戦争が起きたときと同じ心境ですよ。
この問題の着地は、
言葉というのは、凶器なんかよりもよっぽど鋭利で、簡単に人を傷つけることができる。
嬉しい言葉をかけられれば嬉しいし。
少なくとも嫌な気持ちにはならない。
少しでも嫌悪感を抱くときは、黙っていればいい。誰も傷つかんし、それでいい。
嬉しい言葉をかけられ続けられれば幸せになるんだったら、そうしよ。
これで良くないですか?
木村花選手に関しては、はっきり言って自分は初めて存在を知りました。
だけども、一人の命が亡くなったこと。
それが原因はどうかわからないが、
多くの心無い言葉が原因であった場合は、一人の人間として不甲斐ない気持ちです。
自分はあえて言葉を強く書いていますが、傷つけることはなく、気付かせられる存在として発信していきます。
ご冥福お祈り致します。
最後に幸せとは。
この人類永遠のテーマについて書きます。
幸せのいうのは、自分が幸せであると気づくこともなく、ちょっとした不平不満をもらしながらも、平凡な毎日を送れることなのかもしれない。
人の幸せというのは、どれだけ周りの人を笑顔にできたか。
『ライオンのおやつ』 小川糸
生きて、家族がいて、生活する普通の場所があること。
『キネマの神様』 原田マハ
ゆるされている。
世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
『羊と鋼の森』 宮下奈都
私が思う幸せというのは、
日々当たり前のことが当たり前にできること。
日の光、小鳥のさえずり、風の音、母親の呼ぶ声、父親の存在、友人・恋人とのライン、白米のホクホク感、本の質感、コーヒーの香り、布団の心地良さ。
これら全てが幸せだと感じます。
休日の午前にこうして、カフェにきて本を読むこと、仕事の準備をすること。
これこそが僕にとって最高の幸せなひと時です。
あなたにとっての幸せはなんですか?
んじゃあ👋