neichan’s blog

ネイマといいます。日本人です。

ステレオ〜音の匂い

なんか良い曲・・・

 

 

最近スマホをいじる時間が増えた。

間違いなくyoutubeのせいだ。

 

 

家にいる時間は何かしらの動画を流している。

退屈だからとか寂しいからとかではない。

もはや視聴習慣というわけでもない。

ただ、流すことが当たり前になっているだけなのだ。

 

何か面白いもの。という漠然としたテーマで動画を漁っていると、特に面白くない動画を見る方が習慣になるケースがある。

なんか見てしまう。怖いことだ。

 

 

だけど仕事の最中はそうはいかない。

仕事は仕事。その最中に特に見たくない。

 

ただ仕事柄、人と話すことは少ないため、イヤホンをして音楽を聴くことが多い。

 

 

月額1,620円のサブスクリプション形態のアプリから常に音楽を流している。

 

基本的にランダムで再生される。

ただ、ランダムといっても、過去の検索や視聴履歴をAIが判断して、この人が好きそうな音楽を流してくる。

 

そのため、潜在的に求めていた曲が流れることが多く、そのたびに久しぶりに10年ぶりに会う知り合いのような気分になる。

 

 

音楽には匂いがある。

その時感じていた心情、葛藤、景色、色

時代にはいつでも鼻の奥に感じる匂いがある。

 

それらを引っ張り出してくれる存在こそが音楽なのだ。

 

 

サザンオールスターズを聴くと、中学1年生のテスト勉強を思い出す。

 

新しい環境に戸惑いながら、何もが新鮮でドキドキしていたあの頃。

部活に入り、毎日必死に努力していたこと。

先輩という存在ができ、1歳上ですら自分の父親よりも上の存在に感じていた。

 

初めて彼女ができ、男子女子を強く意識するようになったこと。

周りと一緒が嫌いになり、悪いことをすることがかっこいいと思っていたこと。

Yシャツを出している方がカッコいい思っていたこと。

 

振り返ると、自分のことなのに共感的羞恥心が芽生える。

 

 

 

音楽にはそんな力がある。

 

 

 

EXLIEの I Wish For Youは初めての彼女と行ったデートで買ったCDだ。

恥ずかしい話だが、この曲を聴くと、なぜかものすごく恥ずかしい気分になって、いまだに聴くことが出来ない。

 

 ただ、当時買っていたCDは歌詞カードがふやけるほど読んでいた。

 

特にCDを買うほどでもないものは、TSUTAYAへ行き、CDをレンタルし、CDやMDに入れたものだ。

 

歌詞カードはコンビニでコピーし、ホッチキスでまとめていた。

 

好きな曲は、曲を聴いてノートに書いた。

 

 

そんな感じで音楽は身近にあったが貴重だった。

簡単に手に入るものではなかったし、Mステでの生披露は必ず見たものだ。

 

 

スマホのランダム再生でその当時の曲を聴くとすごく懐かしくなるほか、その分寂しくなる。

 

当時の貴重性が失われ、1曲に対する想いが減った気がするのだ。

 

便利になるということは、同時に何かを失う。

 

世の中はどんどん便利になる。

今では空飛ぶ車の開発が本格的に進んでいる。

おそらく50年後には空飛ぶ車があることだろう。

 

でもその時我々は、

『50年前は空は自由で、鳥が飛んでいた。』

『太陽の光がしっかりあたり、今より明るかったよ』

 

 

かという私も外出するときはイヤホンをするし、スマホなしの生活は考えられない。

それと同時に、世の中を狭く感じているのかもしれない。

 

 

 

いま耳で流れているその1曲は、当時1,000円で買ったCDから流れる曲と同じ価値だろうか。