neichan’s blog

ネイマといいます。日本人です。

7つの習慣〜キツい、しんどいって思っている人へ

 

どーも、ネイマです⚽️

 

 

今日、久しぶりに『7つの習慣』を再読しました。

 

 

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経営者が思う、読んだ方がいいランキングの常にTOP3に入る本です。

 

 

聞いたことあるけど、読んだことない人が多い本です。

 

はっきり言って、その習慣を全てマスターすれば、日本の中でTOP500の人材になれると思います。

 

これから時間あるときにちまちま書いていこうと思ってます。

 

内容がっつり引用するので、読みたい人は買ってください。

 

 

『自分の最高の望みを達成し、最大の困難を克服したいならば、自分が求める結果を支配している原則や事前の法則を知り、それを適用する』このことが私が最も興味深い教訓である。    スティーブン・コビィー

 

こんな文章から始まる内容です。

 

 

 

簡単に言えば、

達成したい目的があるなら、それをどうやったら解決できるか原則を知ろうねー!っていうことですね。

 

 

第1の習慣 主体的である

 

 

あなたは主体的な人ですか?

 

この質問に関しては『はい』とはっきり答えられる人は少ないと思います。

 

では、あなたは客観的な見方ができますか?

 

 

こう質問すると、多く人は『はい』と答えます。

 

しかし、スティーブン先生はこう言ってます。

 

私たちは無意識に自分なりの見方で他者の行動を眺め、自分は客観的だと思い込んでいるにすぎない。

 

あなたは自分はどういう人間だと思いますか?

 

という質問の答えと、

 

 

彼女はあなたのことをどう思っていると思いますか?

 

友人はあなたをどういう人間だと思っていると思いますか?

 

 

この答えが違う人は、客観的に自分という人間を見つめていない人です。

 

僕も当てはまります。

 

 

人間が元々持っている能力は、

『自覚』という能力です。

これは他の動物は持っていません。

 

 

 

だから、セルフパラダイム(自分に対する見方)をつけることによって、客観性を身につけられるということだ。

 

上記の通り、人は自分というフィルターを通して相手を見ている。

 

『君はいつも時間に遅れる』

『お前はどうして部屋の片付けができないんだ』

『あなたって芸術家肌ね。』

『君はこんな簡単なことも理解できないのか』

 

こんな言葉は、相手がどういう人間かを客観的に述べているだけではなく、

自分の関心ごとは人格的な弱さを通じて相手を見ているということだ。

 

 

また、自分を客観視した後に大事になることが、『選択』ということだ。

 

 

選択とは、刺激と反応の間にある。

 

 

簡単な例を挙げると、

 

スマホの着信が鳴った。

 

これに対する反応は、取るということだ。

 

 

しかし、この間には、

"取る"という選択と、

"取らない"という選択がある。

 

つまり、電話を取るということは、

"取る"という選択をした反応なのである。

刺激⇒選択⇒反応

 

 

そのため、人間の可能性を引き出すのは、

刺激と反応の間にある、選択なのだ。

 

 

タイトルの主体性とは、

自発的に率先して行動することだけではない。

自分の人生の責任を引き受けることも意味する。

 

そして、私たちの行動は、周りの状況ではなく、

自分自身の決定と選択の結果である。

 

 

以前も書いているが、

責任とは、英語でレスポンシビリティという。

 

レスポンスは反応。

アビリティは能力である。

 

主体性のある人は、

自分の行動に責任を持ち、状況や条件付けの際にはしない。

 

自分の行動は、状況から生まれる一時的な感情の結果ではなく、

 

価値観に基づいた自分自身の選択の結果である。

 

 

したがって、人生が条件付けや状況で支配されているとしたら、それは意識的にせよ無意識的にせよ、支配されることを自らが選択したからに過ぎない。

 

 

主体的な人の反対は、反応的な人と呼んでいます。

 

彼らの言葉の裏にあるのは、責任の転嫁です。

自分には責任がない、自分の反応を選ぶことはできないということを言う。

 

例が記載されております。

大学で教えていた頃のことである。

一人の学生が『授業を休んで構いませんか?テニスの合宿があるので』と言ってきた。

 

『いかなければいけないのか、それとも行くことを選んでいるのか、どちらだね?』私は聞いた。

 

『実は行かなくちゃいけないんです。』

 

『いかなければどうなるんだい?』

 

『チームから外されます。』

 

『そうなることについてどう思う?』

 

『嫌です。』

 

『つまり、チームから外されないという結果が欲しいから、行くことを選ぶわけだ。では、授業に出なかったらどうなる?』

 

『わかりません。』

 

『よく考えてみなさい。授業に出なかった場合の自然な結果はなんだね。』

 

『先生は落第点はつけたりしませんよね。』

 

『それは社会的な結果だ。他人がもたらすものだ。テニスチームに参加しなければ、プレーができない。それは自然な結果だ。授業に出なかった場合の自然な結果は?』

 

『学ぶ機会を失うことでしょうか。』

 

『そうだ。だからその結果と他の結果を比べて、選択しなさい。私だったらテニスの合宿に行くことを選択するだろうね。しかし、何かをしなければならない、などという言い方はしないで欲しい。』

 

『では、テニスの合宿に行くことを選択します。』

 

 

 

そのように被害者意識が増していき、感情のコントロールができず、他人によって左右されると思い込んでしまう。

 

 

実は鬱病も自らの選択でなると実証されている。

 

つまり、全ては自らの選択である。

 

僕がよく言われていることが、

 

問題は問題ではない。

起きた事象を問題だと思い込むことが問題なのだ。

 

 

そして、

今やるべきこととは、

将来の自分があの時やっててよかったと感謝されることだ。

 

結局全ては自分。

 

相手は変えられない。

自分が変わることで相手も変わる。

 

そうすることができる人が主体性のある人だと考えます。

 

 

こんな感じで、自分の意見と混ぜて記載致しました。

 

これからも時間あるときにちまちま書いていきます!

 

 

んじゃあ👋