脳死は『死』?!
どーも、ネイマです。
僕は普段映画はほとんど見ません。
なぜなら、拘束される時間が長いから。その時間があるなら、本を読んで内容を把握した方が、より深い考察ができるから。
と考えていましたが、この作品だけは映画の方がいいような気がしたので、かなり久しぶりに映画を見ました。
その作品が『人魚の眠る家』です。
物語のあらすじを軽く解説(ネタバレ)しますね。
物語の主人公は薫子(篠原涼子)と娘の瑞穂のお話。娘たちは自分の母親にプールに連れて行ってもらう。しかし、瑞穂は排水溝に指が挟まり溺れて極めて脳死に近い状態になってしまう。
意識が戻る確率が極めて低い中、薫子は娘に対して、延命を続けるか、それとも脳死判定をしてもらい臓器移植に協力するか、という二択に迫られる。
結果、薫子は延命を続けることにする。
その後、夫の部下である星野(坂口健太郎)が脊髄に直接電流を流すことで、筋肉を動かし、運動させる技術を用いて、瑞穂は意識のない中で物を受け取ったら、笑顔を作ったりする。
薫子の中では瑞穂は生きている。そのため、近所に散歩に行ったり、息子の入学式に連れていくようになった。
そのことがきっかけで、息子は友達から避けられるようになる。
ここで息子はこのようなことを言う。
『お母さんだけが生きてるって言ってるけど、おねぇちゃんはもう死んじゃってるんでしょ?!』
クライマックスのシーンで、薫子は瑞穂に包丁を突きつけてみんなにこう言う。
『今、私が瑞穂を刺したら、私は捕まりますか?瑞穂が生きているのであれば捕まりますよね?そうなら、私は喜んで罪を償います。』
どうですか?非常に議論しにくい題材です。
これは、正解のないものです。
世間一般では、自らの意思で動かない人は『死んでいる』と見なされます。
しかし、心臓は動いているんです。そして、たまに反射的に動いたりもします。ヒゲが伸びたりもします。排泄も行います。
どうでしょう?
自分の子供、両親、大切な人が脳死の状態になってしまったら、
あなたは彼らを『死んでいる』と思えますか?
理論的には、もう動かない人は『死んでいる』と見なして、まだ生きる余地がある人のために臓器移植するべきだ。
また、自分が脳死になってしまったとしたら、『臓器移植してくれ!』って言うと思います。
ですが、これは理論で考えることはできません。まだ動いている子供の心臓を他人に渡すことが母親にできるでしょうか?
また、作中で出てくる星野さんの発明である、脊髄に直接電流を流して、体を動かすこともそうです。
もう動かないと言われた子供が動き出すことは母親にとっては、ものすごい幸せなことです。それが本人の意思で動いていなくても。
しかし、他の人は違います。自分の意思で動いていないのはロボットと一緒だ。まるでマリオネットだ。本人が希望していないことであるのに、電気を流して体を動かすのは、母親の自己満だ。
このように言われるのが普通です。
ただ、一つ言えるのは、
全て正解であり、なにも正解などは存在しないということです。
この世の中には、正解がない問題が多くあります。
・安楽死の是非
・人間の死後
当事者の意思と他の人の意見は違います。
例えば安楽死についてだと、僕ならどうせ死ぬなら苦しまずに死にたいと思います。ただ、両親は生きてくれ!っていうと思います。
僕も両親が同じ状態ならそう言うと思います。
ただ、実際、この世の中には正解がないことがほとんどです。
就活だって、仕事だって、全ては正解などありません。ただ、自分が決めたことを正解だと思い込むことは可能です。
僕は学校で習う『正解がある問題』よりと、『正解のない問題』について考えることこそが人間的な成長が見込めると思っております。
これをみたあなたにも是非考えて欲しいです。
あなたなら大切な人が極めて脳死に近い状態になったらどうしますか?
んじゃあ、👋